大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)3000号 判決 1975年9月29日
原告 金徳太郎
原告 有馬陽子
右原告ら訴訟代理人弁護士 野村裕
同 石川元也
右訴訟復代理人弁護士 西本徹
被告 株式会社栗田組
右代表者代表取締役 栗田力
右訴訟代理人弁護士 辺見陽一
主文
一、被告は、原告金徳太郎に対し金一、三三六、四八八円、同有馬陽子に対し金一、一六八、二四四円及びこれらに対する昭和四八年七月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告らその余の各請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。
四、本判決第一項は仮に執行することができる。
事実
一、原告ら訴訟代理人は、
(一)、次のとおりの判決並びに仮執行の宣言を求め、
1、被告は、原告徳太郎に対し金三、一一一、二〇一円、同陽子に対し金二、三〇五、六〇〇円及びこれらに対する昭和四八年七月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2、訴訟費用は被告の負担とする。
(二)、その請求の原因として次のとおり述べ、
1、訴外亡金ゆかり(以下単にゆかりという)は、韓国人の父原告徳太郎と日本人の母原告陽子との間に昭和四四年六月二三日出生した韓国籍を有する長女であるが、昭和四八年三月一五日午前一〇時過ぎごろ、茨木市橋の内一丁目一三番二三号の自宅から約一〇〇メートル離れた安威川低水護岸改修工事現場において、別紙図面(一)に示すとおり、左岸の工事用車両搬出入道(以下本件搬出入道という)を通って小板上に降り、更に洪水護岸に接着して堆積放置してあった土砂上で遊んでいるうち水中に転落し、そのころ同所で溺死したものである(以下本件事故という)。
2、被告は、土木建築請負を業とする会社で、大阪府から請負った右改修工事現場に従業員の訴外井戸木実を派遺し、その指揮監督下に右工事を施行しており、同工事材料等の搬出入用に本件搬出入道を設置し、且つ、同工事により採取した残土を右のとおり堆積放置していたものであるが、当時安威川の本件事故現場一帯は、右工事のため濁水となり、その水深を容易に察知することが困難な状態であったうえ、右現場附近は通常よりかなり深くなっていたのであるから、右現場監督として被告の事業執行に従事していた井戸木としては、附近に居住する幼児らが本件搬出入道を利用して工事現場に立入り右堆積土砂上で遊べば、誤って水中に転落し溺死する危険性が高いことを予想し、常時本件搬出入道附近に監視員を置いて右工事現場に立入る幼児らのないよう監視せしめるとともに、右堆積土砂を速やかに除去するなどして、右溺死事故等の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、右監視員の配置及び堆積土砂の除去をせず放置していた過失があり、仮にこれをもって井戸木の過失とはいえないとしても、被告代表者においてその職務執行上右同様の注意義務を怠った過失があり、本件事故はかかる過失に基き発生したものというべきであるから、被告は、第一次的に民法第七一五条第一項本文、第二次的に商法第二六一条第三項、第七八条第二項、民法第四四条第一項により、本件事故のため原告らの蒙った後記損害を賠償すべき義務がある。
3、本件事故により生じた損害は次のとおりである。
イ、ゆかりの得べかりし利益の喪失による損害 金二、四一六、八〇二円
ゆかりは、本件事故当時三才九ヶ月の女児であり、本件事故にあわなければ一八才から六三才までの四五年間平均女子として稼働することができたと認められるところ、昭和四三年度賃金構造基本統計調査報告書によれば、一八才女子の平均給与は一ヶ月金二四、六〇〇円であるので、損益相殺の法理により同女の生活費をその二分の一として控除し、右四五年間の得べかりし利益現価を左記算式により算出した。
(算式)
二四、六〇〇円×〇・五×一二×一六・三七四(ホフマン係数)
ところで、原告らは、ゆかりの死亡により、同女の本国法である韓国民法の規定に則り、原告徳太郎が三分の二、同陽子が三分の一の各相続分をもって、ゆかりの権利義務一切を相続したので、右得べかりし利益の喪失による損害賠償債権のうち、三分の二に当る金一、六一一、二〇一円を原告徳太郎が、三分の一に当る金八〇五、六〇〇円を同陽子がそれぞれ承継取得した。
ロ、原告らの慰藉料 各金一、五〇〇、〇〇〇円
本件事故当時原告らの間には三人の実子があったが、そのうちゆかりは唯一人の女児であり、同女を右事故により失った原告らの精神的苦痛は甚大であって、この苦痛に対しては各金一、五〇〇、〇〇〇円の慰藉料が支払われるべきである。
4、よって、原告らは被告に対し、原告徳太郎につき右損害賠償債権合計金三、一一一、二〇一円、同陽子につき同金二、三〇五、六〇〇円及びこれらに対する本件訴状送達の翌日である昭和四八年七月一九日から各支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(三)、≪証拠関係省略≫
二、被告訴訟代理人は、
(一)、次のとおり判決を求め、
1、原告らの各請求を棄却する。
2、訴訟費用は原告らの負担とする。
(二)、答弁として次のとおり述べ、
1、請求原因1項のうち、ゆかりが、韓国人の父原告徳太郎と日本人の母原告陽子との間に昭和四四年六月二三日出生した韓国籍を有する長女であり、昭和四八年三月一五日茨木市橋の内一丁目附近の安威川内で溺死したことは認めるが、本件事故現場が別紙図面(一)に示すとおりであることを争い、その余の事実は不知。
2、同2項のうち、被告が、土木建築請負を業とする会社で、大阪府から請負った安威川改良工事現場に従業員訴外井戸木実を派遺し、その指揮監督下に右工事を施行しており、同工事材料等の搬出入用に本件搬出入道を設置していたことは認めるが、その余の事実はすべて争う。
3、同3項の損害額はすべて争う。
4、本来河川は我々人間にとって自然に存在する危険の一つであり、人間の工作物である提防の本来の目的は洪水の防止であって、一級河川である安威川についても、原告らが本件事故現場であると主張する附近の左右両岸堤防間の距離は約九〇メートル、通常流水面の幅員は約三五メートルであるが、一般に解放されており、何らの水難防護処置もなされておらず、なされていないことについて現状では何ら問題はないとされているので、通常の場合、安威川で幼児が溺死しても河川管理者がその責任を問われることはないと考えられる。
被告は、別紙図面(二)に示す安威川のうち、既に工事が完了していた第一〇四以下の部分に続く上流の第一〇六までの左岸改良工事を大阪府から請負い、昭和四七年一一月初旬に第一〇四+五〇から第一〇六までの高水工事、次いで第一〇四から第一〇六までの低水工事を終え、最後に第一〇四から第一〇四+五〇までの高水工事にかかり、昭和四八年四月中旬全工事を完了したものであるが、本件事故当時は永久橋附近の低水工事に従事しており、右搬出入道から降りた低水護岸附近の水深は一・〇ないし一・五メートルに達していた。ところで、本件搬出入道附近の高水護岸の状況は、当時、第一〇四から第一〇四+五〇までの工事未了部分が土の斜面でその勾配は約九分の四、第一〇四+五〇から上流及び第一〇四から下流の各工事完了部分が勾配約九分の六のコンクリートブロック張りの斜面で、右斜辺の長さは約一一メートルであったから、本件搬出入道がなくても、三、四才の幼児なら右斜面を下って河川敷に降りることは困難なことではないし、河川敷に降りた幼児が低水護岸から直接水中に転落する危険性も否定できない。従って、仮に、ゆかりが本件搬出入道を通り低水護岸から水中に突出した堆積土砂上に至り誤って転落したとしても、それは、河川の自然に具備する危険性によって発生した事故であり、被告の前示工事により新たに生じた危険に起因するものではないというべきである。
5、仮に、本件事故について被告に何らかの損害賠償責任があるとしても、ゆかりの両親である原告らは、幼児の溺死事故の危険が常に存在している安威川の附近に居住しているのであるから、ゆかりのような幼児に対し、安威川に近寄らないよう不断に言い聞かせるのは勿論、自らも常にその行動を監視すべき注意義務があるといわなければならない。しかるに、原告らにおいて、三才九ヶ月の幼児であるゆかりの監視を怠ったため、同女が保護者なしに危険な安威川の河川敷内に立入り本件事故となったのであり、ゆかりの死亡についてはその監護義務者である原告らにも重大な過失があるから、被告の賠償額は総損害額の一〇パーセントにとどめるのが相当である。
(三)、≪証拠関係省略≫
理由
一、請求原因事実のうち、ゆかりが、韓国人の父原告徳太郎と日本人の母原告陽子との間に昭和四四年六月二三日出生した韓国籍を有する長女であり、昭和四八年三月一五日茨木市橋の内一丁目附近の安威川内で溺死したこと、被告が、土木建築請負を業とする会社で、本件事故当時、大阪府から請負った安威川改良工事現場に従業員訴外井戸木実を派遣し、その指揮監督下に同工事を施行しており、同工事材料等の搬出入用にその位置は別として本件搬出入道を設置していたことは、いずれも当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫を総合すれば、次の各事実が認められる。
1、被告は、別紙図面(二)に示す一級河川である安威川のうち、既に護岸工事が完了していた第一〇四以下の部分に続く上流の第一〇六まで約二〇〇メートルの間の左岸改良工事を大阪府から請負い、昭和四七年一一月初旬に第一〇四+二五の箇所高水左護岸に右図面のとおり本件搬出入道を設置し、第一〇四+五〇から第一〇六までの高水工事、次いで第一〇四から第一〇六までの低水工事を終え、最後に第一〇四から第一〇四+五〇までの高水工事にかかり、昭和四八年四月中旬全工事を完了したのであるが、本件事故当時は永久橋附近の低水工事に従事しており、低水護岸と高水護岸との間の河川敷には流水がなく、右図面の低水左護岸第一〇四附近には、右低水工事の際水の侵入を遮断するために設けられ既に不要となった土砂が、右護岸に接着して幅約一・五メートル、長さ約五メートル、水面上の高さ約三〇センチメートルの「く」の字状となって水中に突出堆積したまま放置され、その附近の水深は一・〇ないし一・五メートルに達していた。
2、本件搬出入道は、安威川左岸に沿ってほぼ南北に通ずる車道から同河川敷に降りるダンプカー用の通路であるため、幅員は広く勾配もゆるやかであり、昼間はその出入口右側端に「工事中ダンプ出入口御注意願います」との立札が設けられていたのみで、幼児でも容易に出入りすることができたが、その附近の高水左護岸の状況は、前示図面第一〇四から第一〇四+五〇までの工事未了部分が土の斜面でその勾配は約九分の四、第一〇四+五〇から上流及び第一〇四から下流の各工事完了部分が勾配約九分の六のコンクリートブロック張りの斜面で、右斜辺の長さは約一一メートルあり、幼児がこれを降りることは困難であった。
3、原告らの自宅は、安威川左岸堤防東側の新興密集住宅街の中で、本件搬出入道まで小道を通って約一〇〇メートルの距離にあり、ゆかりは、本件事故当日午前一〇時ごろまで右自宅にいたが、その後近所の四才の男児と二人で外出したまま行方不明となったので、これに気づいた原告陽子が、あちこち探したすえ、同日午前一一時半ごろ安威川内の前示「く」の字状堆積土砂の北(上流)側水面上にうつ伏せになって浮かんでいるゆかりを発見したが、当時ゆかりの赤色雨靴の片方が右土砂先端部上に残っており、他方はゆかりがはいたままであった。
以上認定のゆかりの年令、本件搬出入道通過の容易性、雨靴の残存位置等を考慮すれば、ゆかりは、本件事故当日午前一〇時過ぎごろ前示男児と二人で自宅を出て、本件搬出入道を通って安威川河川敷に降り、前示堆積土砂の上で遊んでいるうち、足をすべらせて水中に転落溺死したものと推認するのが相当である。
二、そこで、本件事故につき被告が原告ら主張の損害賠償責任を負うべきか否かについて判断するに、本来河川が我々人間にとって自然に存在する危険の一つであることは被告主張のとおりであるが、被告が安威川左岸改良工事のため設置した本件搬出入道及び低水護岸から突出堆積放置していた土砂の前示認定のような位置、形状からすれば、幼児らが容易に本件搬出入道を通過して右堆積土砂上に至り水遊びをすることができ、かかる場合には水中に転落する危険性が高く、また、一旦転落すればその水深に照らし溺死するに至る高度の危険性を有するものであったことが明らかであるところ、本件搬出入道の設置された左岸堤防東側一帯が前示新興密集住宅街であり、その住民の中には必ずや事理弁識能力の極めて不十分な幼児らが含まれ、右のようにして安威川の河川敷に立入るおそれのあることは十分予想されたというべきであるから、被告の現場監督である訴外井戸木実としては、工事中は常時本件搬出入道附近に監視員を置くか、幼児らが容易に立入れないような移動型柵等の設備をするとともに、不要となった右堆積土砂を速やかに除去して、幼児らの溺死等事故の発生を未然に防止すべき注意義務があったものといわなければならない。しかるに、井戸木は、本件搬出入道に右監視員を配置せず、単にその出入口右側端に前示立札を設置していたのみであり、且つ、右堆積土砂を放置していたのであるから、同人には被告の現場監督としてその事業を執行するにつき右の注意義務を怠った過失があり、前示認定の事実関係に照らせば、この過失が本件事故の一因をなしたことは明らかであるから、その使用者である被告は、民法第七一五条第一項本文により、本件事故のため原告らの蒙った損害を賠償すべき義務がある。
三、次に、被告の過失相殺の主張について判断するに、ゆかりは本件事故当時三才九ヶ月の幼児であって、ようやくその行動範囲も拡がりつつある反面、いまだ事理弁識能力の極めて不十分な年頃であり、その両親である原告らの自宅から約一〇〇メートルの距離にある安威川で護岸改良工事が施行されていることを原告らにおいて認識していたことはその各本人尋問の結果から明らかであるので、原告らとしては、ゆかりに対し単に安威川に近づかないように言い聞かせるのみでなく、同女から目を離すことなくその行動には十分の監視をなすべき注意義務があったものといわなければならない。しかるに、原告ら各本人尋問の結果によれば、本件事故は、原告ら殊に原告陽子が炊事に気を取られてゆかりを相当長時間放任していたために発生したものであることが認められるので、原告らには右注意義務を怠った過失があり、その程度は重大であるといわなければならないから、この点の過失は、被害者側の過失として、被告の原告らに対する損害賠償額の算定につき斟酌すべきであり、その過失割合は、被告の四〇パーセントに対し原告らの六〇パーセントとみるのが相当である。
四、進んで、本件事故により生じた損害について判断する。
イ、ゆかりの得べかりし利益の喪失による損害 金一、二六一、八三二円
前示認定のとおり、ゆかりは本件事故当時三才九ヶ月の女児であったから、他に反証のない限り、同女が右事故にあわなければ原告ら主張の一八才から六三才までの四五年間平均女子として稼働することができたと認めるのが経験則上相当であるところ、≪証拠省略≫に最近数年間における一般給与ベースアップの実状を総合すれば、ゆかりが死亡した昭和四八年度における一八才女子の平均給与は原告ら主張の一ヶ月金二四、六〇〇円を下ることはないと認められるので、損益相殺の法理により、経験則上相当と認められる同女の生活費をその二分の一として控除したうえ、右四五年間の得べかりし利益の現価を民事法定利率年五分の中間利息を控除して求めることになるが、会社更生法第一一五条但書の規定からも明らかなように、年毎式ホフマン法によると右中間利息の控除が十分になされ得ず、本件のように中間利息控除期間が極めて長期にわたる場合には相当でないので、右中間利息の控除を十分になし得る年毎式ライプニッツ法により右中間利息を控除して右現価を求めれば、左記算式により金一、二六一、八三二円となる。
(算式)
二四、六〇〇円×〇・五×一二×八・五四九(ライプニッツ係数)
右現価額に、前示被害者側である原告らの過失を斟酌すれば、ゆかりの得べかりし利益の喪失による損害として被告に賠償を請求し得る金額は金五〇四、七三二円となるところ、前示認定の事実関係に照らせば、原告らは、ゆかりの死亡により、同女の本国法である韓国民法第一、〇〇〇条第一項第二号、第二項、第一、〇〇九条第一項但書の規定に則り、原告徳太郎が三分の二、同陽子が三分の一の各相続分をもって、ゆかりの権利義務一切を相続したことが明らかであるので、右得べかりし利益の喪失による損害賠償債権のうち、三分の二に当る金三三六、四八八円を原告徳太郎が、三分の一に当る金一六八、二四四円を同陽子がそれぞれ承継取得したことになる。
ロ、原告らの慰藉料 各金一、〇〇〇、〇〇〇円
前示認定の本件事故の態様、原告らの身分関係及び過失その他諸般の事情を総合すれば、原告らがゆかりの死亡により蒙った精神的苦痛に対する慰藉料は各金一、〇〇〇、〇〇〇円をもって相当と認められる。
五、そうすると、被告は原告らに対し、原告徳太郎につき前示損害賠償債権合計金一、三三六、四八八円、同陽子につき同金一、一六八、二四四円及びこれらに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四八年七月一九日から各支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
よって、原告らの本訴各請求は、右義務の履行を求める限度で理由があるからこれを認容すべく、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行の宜言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 富田善哉 裁判官 谷水央 楢崎康英)
<以下省略>